桜井英治

日本で中国銭の本格的な使用がはじまるのは12世紀半ばであり、このとき銭は、それまで米・絹・麻がもっていた一般的交換手段機能の大半を吸収するが、支払手段機能の獲得は明くる13世紀まで待たねばならなかった。 この現象は、じつは宋から元への王朝交替という中国国内情勢によって引きおこされたものである。宋にかわって中国を支配した元は紙幣専用政策を採用して国内での銅銭使用を禁止した。その結果、中国国内で使い道を失った銅銭が中国から海外へ大量に流出し、それがこの時期、日本やジャワ、ヴェトナムなど、東アジア全域に中国銭使用の拡大という共通の現象をもたらしたのだ。 年貢の代銭納化は中世日本の経済構造を一変させた。厖大な量の商品が生まれ、地方から中央にもたらされる物資も、年貢ではなく、商品が主流になる。生産物を換金するための定期市も各地に簇生し、商品流通量が貢納による物流量を上まわり、市場経済社会の段階に入った。それは約300年続く。。。 1570年前後に世界史的規模でおこったいくつかの複合的な原因によって中国から日本への銅銭供給が途絶し、それが日本における銭経済の終焉をもたらした。それにともない年貢の代銭納制も維持が困難になり、しだいに米を中心とする現物納へと回帰していった。年貢の代銭納制下で展開した中世的な市場経済社会はこうして終焉を迎えた。